ひのひかり通信

ひのひかり通信

「明日できることは明日やる」ひのひかりの提供でお送りします──

文系大学生が地方での大学生活を振り返る【前編】

こんにちは。ひのひかりです。

2018年も終わりに近づき卒論もいよいよ大詰め(大嘘)ですが、私の学生生活もいよいよ終わる(はず)ということで、今回は大学時代を振り返ってみようと思います

このブログでは割と珍しく(?)思いっきり自分語りをしていくので、違うなと思った方は今すぐ閉じることをオススメします。笑

f:id:HinoHikari:20181216153938j:plain

目次

自己紹介

 東日本出身で西日本の大学に通う文系大学生です。

これは地方あるあるなのですが、所在地や学部を話すと簡単に特定できてしまうので、西日本の田舎にある国公立大学くらいの情報で堪忍してください。

学部も例によって詳しくはお話できませんが、人文科学系統もしくは社会科学系統の学部です(文系なのでそれはそう)

自己紹介については専用のページを設けているため合わせて見てもらえたらと思います(3分あればおおよそ分かると思います)

進学の背景

 自称進学校に通っていたためあまり考えることなく進学を決めました。

当時は社会科(特に日本史)が好きだったので歴史学を学びたかったのですが、主に学力的な問題で学部を変更し、今に至ります(ざっくり)

 

ここからは大学1年〜4年の生活をざっくり振り返ります(前編は1・2年、後編は3・4年です)

【注意⚠】学歴コンプ、歪んだあまのじゃく的思考が含まれています。ご注意ください。

大学1年

入学前

 大学1年の頃は学歴コンプとの戦いでした。初手暗い話

私は国公立大前期試験に落ち、私大受験にもほぼ落ち、後期試験を経て大学生になりました。合格発表は3月後半でした(かなり遅い)

後期試験は本当にテキトーに選んでしまった(日程的に受けるつもりがなかった)ため、正直あまり乗り気ではなかったです。(テキトーに選んだ自分が悪いのは言うまでもない)f:id:HinoHikari:20181226132858j:plain*1

いわゆる「不本意入学」をすることになった私でしたが、今思うと自分で受けておいて不本意とか笑わせんなって話ですね。頭おかしなるで

今更グダグダ言うつもりもありませんが、当時は本気で編入試験を考えていました。 

 

ちなみに不服だった理由をお話すると、

  • 単純に志望校に行けなかったこと(正直前期試験も志望校か怪しかった)
  • 後期試験で合格した大学の地域が想像以上に田舎だったこと

の2点です。在籍してる大学そのものに罪はないんだよなぁ……。

自分語り止めたくなってきた

ちなみに自分の通う大学については上記で触れています。合わせてどうぞ。

入学直後

 先述のとおり転学するつもりだった私は、特に希望を抱くことなく入学しました。

後期試験の際に大学には訪れているため大学を見ても特に思うことはなく、友達も作るつもりはありませんでした(まぁ転学するならいらないよねって考え)。

 

しかしその思いとは裏腹に、1日目のガイダンス前に話す人ができました。

人見知りである私にとって良い意味で想定外でした。

彼らとは今でも続いていており、かなり早い段階で良好な関係を築けたことで大学を続けることができました

もし彼らがいなかったら転学していたと思います。

 

あとこれは完全に余談ですが、大学に通い始めた当初はみんな関西弁に聞こえてました。

岡山弁、岐阜弁、広島弁、香川弁、福井弁、大阪弁播州弁鳥取弁、京都弁、博多弁など色んな方言を話す人と知り合いになりましたが、「へぇ〜香川って関西弁話すのか」みたいな感じで違いがサッパリ分かりませんでした(今でも詳しくは分からない)

前期

①講義について

 1年前期は特に必修科目が多く、受講可能な講義数を最大で取ったこともあり言うほど自由ではなかったです。

その必修科目も基礎となる座学が多く、そのうえ外国語学部ではないにも関わらず週3で英語があるという謎カリキュラムだったこともあり正直クソつまらなかったです(他の大学もそうなのかな?)

あと講義時間90分はかなり長く感じました。

編入しても単位はある程度引き継げる(真偽不明)ようだったので単位は取ろうと休むことなく出席しました。

クソつまらなかった、とは言いましたが講義時間が長いこと以外はそこまで大変とは感じませんでした。3月中旬まで受験勉強してたような人間ですしお寿司

②サークル・友人について

 何度も言うように当初は転学を考えていたためサークルなんてもってのほかでしたが、新歓(新入生歓迎会)にはいくつか参加しました。まぁ結局入らなかったけど

サークルには所属しませんでしたが昼休みや放課後に友人とテニスやバドミントン、キャッチボールやピアノを弾きに部室にお邪魔したことはありました。自分にはこのくらいがちょうどよかった。

これは自分個人の考えですが、サークルに入らなくて全く問題なかったです。

 

 友人については先述のとおり想像以上に良好でした。人見知りなので人数は決して多くはなかったですが。

10人弱で誕生日パーティーなんてのも複数回やりました。陽キャなら当たり前にするのかもですが(?)、こうして割と盛大にやったのは初めてでした。

餃子作ってロシアンルーレットとか、今思うと割と凝ったことしてたなと思います。

③大学生活について

 基本的に家と大学を行き来する生活だったため、思っていたほど田舎だからどうとかそういうことはありませんでした。

また、GW(ゴールデンウィーク)は高校時代の部活の大会にて後輩を応援?しに行く予定があったため帰省しました。1年のGWは遠方でも帰省する人が多いっぽい。

このとき「地元って割と便利なトコだったんだな」と思い、そういう意味では縁もゆかりもない地方への大学進学は無駄じゃなかったのでは?と思いました(良いのかこれ?)

 

試験も特に苦戦することなく無事夏休みを迎えました。

夏休みは地元で自動車免許を取りました。本免学科試験は100点満点で、警察官の方に褒められました、嬉しかった(小並感)

あとは名古屋周辺の城巡りとかした気がする。

後期

①気持ちの変化

 後期に入り、この頃には転学する気持ちはほとんどなくなっていました。

色々と思うことはありましたが、「あと3年半なら行けるだろ」とかよく分からない気持ちになっていました。

この背景には「なんかもう面倒くさいな」という気持ちが大きかった。ええんかこれ

 

しかしモヤモヤする気持ちが消えることはなく、この頃から就活を意識するようになりました。結果から言うとそこまで意識しなくても良かったかもだけど。

とりあえずは話のネタ、特に「就活でのネタになる」を行動指針にするようになりました。

②語学

転学をやめ、学内で将来を見据えて何か行動しようと考えたときにまず思いついたのが「留学」でした。就活ネタの定番にして実用的なネタです。

しかし、留学費用を稼ぐほどのやる気はなかったし、そもそも英語が苦手だった。

 

とはいえ何かしたいなと思い、当時大学が募集していた「日本に訪れた留学生と泊りがけで行う学生交流」に参加しました。

英語力もコミュ力もなかった自分にはクッソキツかった

コミュ障すぎて他の日本人学生とすらまともに意思疎通できなかった気がするし、夜みんなが英語で人狼ゲームしてる中逃げ出して寝たフリとかしてました。

これ以上の話は恥ずかしいのでしません。まぁでも参加したことを後悔はしてません。

これも先述の友人がいなければ参加してなかっただろうし感謝しかない。

③アルバイト

この頃からアルバイトを始めました。居酒屋の厨房バイトでした。

地方ということもあり時給が低く(東京の最低賃金未満)、当時は地元の最低賃金より低かったため極めてやる気がなかったですが、まかない料理が出たためよしとしました。

当初は週2〜3程度しか入ってなかったですが12月になると状況は一変、忘年会シーズンはしんどく、この頃から「忘年会とかいうクソ風習廃れろ」と思うようになりました。

長いときは17:00〜02:00(本来は22時閉店)で、流石にしんどいなと思いました。

 

若干話はそれるけど、厨房は忙しくなると明らかに殺気立つから本当に怖いです。

とはいえ終わったあとの「終わったー」って感じのゆるやかな雰囲気はギャップがあって割と好きでした。緩急激しい職場といえるかも。

晦日までバイトをし、その後急いで支度をして帰省、数日ゆっくりしました。

④その他

クソ講義がありました。

「プログラミングⅠ」っていう講義だったんですけど教授は座ったまま何も教えてくれず、学生は与えられた課題を行うというものでした。

あまりにもアホくさくて途中で行くのを辞めました。

これが大学生活唯一の落単となりました。絶対に許さない

④春休み

大学生の春休みは高校までと違ってとにかく長い!

自分の在籍する大学では1ヶ月半〜2ヶ月弱くらいありました。

しかし大学1年の春休みに自分が何をしていたか全く思い出せません……。かすかに覚えてるのは高校の友人とボーリングしたことくらいでしょうか……。

大学2年

前期

①ゼミ

ゼミという科目ではないけどいわゆるゼミです。

自分の通う大学では1・2年合同で行う科目がありました。

もちろん1年前期・後期もそれぞれ受けましたが、大学2年次のゼミのリーダーになりました。

リーダーになった理由、もちろんこれも就活を見込んでのことでした。

結果から言うと、ES(エントリーシート)に埋める程度のネタにはなりました。

ただ面接で話すにはやや難しかった(研究テーマや研究方法、自分の貧相な語彙力、その結果から得られたことなど説明することが多く面倒だった)ことからイマイチ使い勝手には困るシロモノでした。

 

このゼミでは会社にアポを取ってアンケート調査の依頼をしたり、買い物客に突撃してアンケートを書いてもらったりなど結構アクティブな調査を行うなどしました。

今となってはやって良かったなとは思っています。

 

話ついでに話すとゼミの学内発表の後、自分のグループだけ訳あって全く別の会に参加することになり、某県知事や某社社長の前で発表しました。カミカミだったけど。

今思うと何か色々やってたんだなって思います。

第二外国語

 自分の大学では2年次に第二外国語が必修であり、私はロシア語を選択しました。

大きな理由はないのですが、しいて言えばアニメ「ガールズアンドパンツァー」の影響を受けました。カチューシャかわいいよカチューシャ。

巻き舌のエルと巻き舌じゃないエルがあったり、男性名詞や女性名詞、中性名詞など英語とは違った要素も多く楽しかったです。

「ズドラーストヴィチェ(こんにちは)」「ヤー(私)」「ダー(はい)」「ニェート(いいえ)」「ハラショー(素晴らしい)」「スパシーバ(ありがとう)」「ユニベルスチエート(大学)」「ボーシチ(ボルシチ)」「ダスビダーニャ(また会いましょう)」「イクラ(イクラ)」etc…など、断片的な記憶でスペルはもう書けないですが、色んな言葉を覚えました。

あまり好きじゃなかった語学にしてはかなり楽しかったと思う。死ぬまでにロシア行ってみたい……。

 

関係ないですがロシアの歌曲「カチューシャ(Катюша)」はカラオケで毎回歌ってますw

ロシア語を見ながら歌えます、というか見なくても歌えます(笑)

③その他講義について

 上でロシア語について挙げましたが、学業に関しては1年の頃よりは面白くなりました。

1年次は基礎的な部分が多く、必修科目も多かったため退屈でしたが2年以降は専門性のある講義も増え、少し楽しいものも出てきました。

後期

①居酒屋のバイトについて

 1年後期から始めた居酒屋の厨房バイトを辞めました

ここであんまりバイトの話をしても仕方ないですが、待遇面はやはりよろしくなかった。

ただでさえ時給がイマイチなのに午後10時以降も時給が上がりませんでした(法的に平気なのかこれ)

まぁ普段は10時閉店で早いと10時に帰れることもあるのですが、忘年会シーズンなどは10時上がりの日はなく、上がらない時給のなかモチベーションを維持するのがしんどかったです。

あとは学生バイトでたびたびある「辞めるときは他の学生を連れてこい」ってやつ。

サークルにも入らず友人関係が限定的だった陰キャには厳しい話でした。

友人の友人や後輩に声をかけたりもしたけど結局うまくいかず、なんかもうめんどくせーなと思い、結局そのまま辞めました。次なる生贄を探す行為が何というかしんどかったです。

 

あとこれは居酒屋バイトあるあるかも分かりませんが、辞めてからもしばらくは「いらっしゃいませー!」って言葉を聞くと反射的に復唱してしまいそうでした。笑

あとは飲食店に来ると厨房の中を一瞬見てしまう、とかw

結果的に居酒屋バイトは辞めてはしまいましたが、飲食店で働いている方たちに自然と敬意を払うことができるようになったなど、良い経験となりました。

なんだかんだアルバイトは就活の鉄板ネタ(?)になるのでそういう意味でもして損はないです。

 

これ以降一切バイトをやらなかったのかと言われるとそんなことはなく、地元の飲食店などでちょくちょくバイトはしていました。

②講義について

 さて、受講科目には2つの種類があります。「必修科目」か「そうでない科目」です。

また、気持ち的なものとしても2種類あります。「受けたくて受けている科目」と「受けたくないのに受けている科目」です。

そして、受講した結果も2種類あります。「単位取得」と「落単」です。

また、その過程として「単位を取りやすい科目」と「そうでない科目」があります。

 

おそらく大学生なら誰もが考えることだとは思いますが、これらを踏まえた上で時間割を組みました。

その中でも特に私が重視したのは全休(平日の休み)を作るようにしたこと。

この頃には自分の受講スタイルが確立し、以下のようになりました。

  • 「受けたくて受けている科目」は単位の取りやすさにかかわらず出席。すべてこれなら良かったのですが……。
  • 「必修科目」も落単しないよう出席。
  • 「単位を取りやすい科目」「出席しなくてもいい科目」は最低限の出席。中には1回しか出席しないで試験だけ受けて取得したものも。取れたらよかろうなのだ!

このように、最低限の労力で単位を取得しようという行動を取るようになりました。そのため大学にはあまり行かなくなりました。

 

この頃から一気にクズの面が現れるようになり、友人からは「クズ」「サボり」「久しぶり」と呼ばれるようになりました(今思えば自分の周りには講義をちゃんと受けてる人が多かったと思う)

自主休講は日常茶飯事、講義前に退室することも週に何回もありましたが、単位だけは落としませんでした(先述した1科目だけ)。少なくない学費がかかっているため試験対策はキチンとやりました。

※一応言っておきますが、サボりを推奨しているわけではありません!単位落として留年しても一切責任は取りません!

大学にはできるだけ興味のある講義を受けに行き、大学に来た日は真面目に話を聞く。推奨はできませんが自分にはそのようなスタイルが合いました。

大学前半のまとめ

 ちょっと長くなってきたのでここらで一旦区切ります。

前半の感想としては「割と振り返ることあったな」って感じでしょうか。

あと当時の自分の真面目なときとそうでないときの差が激しかったなって……(書けない話も多いからどうしても真面目寄りにはなってしまったけど)

基本的に学生生活に焦点を当てているため○年のときには○○に行きました!みたいな旅行の話とかはしていませんが、それでも削る話が出るくらいにはネタがありました。

気が向いたら今回書けなかった話もいつか書きたいですね。

 

後半はこれ以上に書くネタはあるかと思います。ゼミとか就活とか卒論とか。

大学生活の総括ということで続きも書きたいですが、卒論との兼ね合いでいつ完成するか分かりません(卒論ゴーストライター求む)

正直自分以外の人が読んで面白いのかはちょっと分かりませんが、こういうのってモチベーション次第なところがあるので自分の目につくところで「早く書け!」とか言ってもらえたら早く書きます。卒論の5億倍は書きやすいです。

ここまでご覧いただきありがとうございました! 

 

ほしい物リスト

Amazon.co.jp